暇を持て余したので、久々にブログを書いてみようと思う。自らの意思を文字にすることで自分の漬物石より重い腰が徐々に上がってきている気がする。しかしブログを書くと高らかに宣言したものの、特段ネタがあるわけではない。今回もまた平坦なブログになりそうだなという予想が書き出しの時点で浮かぶ。つらつらと起伏のない、悪く言えば退屈な文章を自分は書いているという自覚はまとまった文章を書く際に時々姿を見せる。文章が退屈である最大の原因は、筆者自身の人間性に何ら面白みがないからではないか。そんな風に思いながら淡々とキーボードを打ち文字を入力する。ここまで書き進めて感じたのだが、ブログに書くようなネタがないということだ。昨今の状況で外出する機会もめっきり減り(元々そこまで多いほうではないが)、ほぼ一日中部屋にいることが多くなってしまった。一日の大半を家で過ごすようになったことで、日々の生活はマンネリ化している。家の中だけでできることは無限にあると思われる方もいるかもしれないが、自分が興味を抱く範囲内で探そうとすると自ずと限られてくるものである。簡単に自分の一日を紹してみようと思う。たいてい朝八時半に起床するのだが、そこで30分程度ベットの上で寝転がりながら寝ている間に更新されていたSNSを眺めたり、東京市場が開かれ株が寄るまでの間適当に気になっている銘柄の板をちょろちょろと見ている。東京市場が開場するとベットから起き上がり朝食をとる。もちろんスマホで株の取引き状況を見ながらである。食事中、スマホのほうに夢中になってしまうと、食事をしているという実感が薄れていしまっている。あまり褒められた習慣ではないと自分でも思う。さて朝食を済ませると、今度は自室に移動してはパソコンで取引状況を眺める。たいてい10時近くまではしっかり見ているが、10時を過ぎると値動きもひと段落してくるため、再びベットに転がりYoutubeで面白そうな動画をあさり始める。市場を見たりYoutubeを見ているうちに、11時を回る。コーヒーを飲みながら再び机に座り、前場の引け取引まで市場を見ている。根が怠惰でありまたデイトレーダーではないという言い訳をしながら、ベットに横になって再びYoutubeを見る。そのまま後場の開始時刻までは動画を見続ける。後場の開始と同時に体を起こして、再度机に座りなおす。その後、気が向いたら軽くいい感じにパソコンで作業を行う。13時半ごろにようやく本日の昼食を考え始める。最近は猛暑が続いているため昼食のために外出するというモチベーションは皆無に等しいが、日光を浴びるためにあまり気乗りしないが外に出る。昼食を終えてゆっくりと帰宅すると、ちょうど東京市場大引けまで後30分くらいの時間になっている。そこで再び市場の取引を適当に眺め、大引けを迎える。その後はTwitterYoutubeを徘徊しながら、またパソコンでやりたいことをやって夕飯の時間を迎える。この時点でほとんど一日を終えた気持ちでいる。夕食を食べ終えひと段落した後、散歩に出かける場合もあるが、基本はベットに転がりながら夕食前と同じようなことをダラダラとやり続けて日付を跨ぐことになる。午前0時半を回ったところで、風呂に入り就寝準備をする。その後ベットでYotubeを30分ほど視聴し無事就寝となる。ここまで自分の一般的な一日を書き出してみたが、第一に感じることはなんてつまらない生活を送っているのだろうかということである。正直自分で書き出してみて改めて日常の退屈さをひしひしと感じている。明日からはもう少し生活をエキサイトなものに変えていこうかな。さすがにこのスタイルで後一か月ほど生活するのはつまらないだろう。ということで明日以降上記で挙げたもの以外に自分が興味を持てるなにかを探していこう。ということで本日のブログはこのへんで。

題名:フランス語の教師(フランス人)の授業内での発言に対する所感

 

今朝からの大雨で気分がナイーブになり、家を出る直前まで学校に行きたくないという心持だった。なんとか重い腰を上げて大学へ足を運び、ネイティブの講師によるフランス語の授業へ出席した。あの授業は個人的にあまり面白みを感じない。しかし出席があるのでしぶしぶ通っているといったところだ。3号館の309教室の少し重たい扉を開け、一番前の席に座った。着席後、教師が授業を始めるまで時間があったのでぼんやり宙を眺めて時間が過ぎるのを待っていた。程なくして、教師が話をはじめた。やっとかあと思いながらぼんやりとしたままでいると、不意に教師がアンケートなるものをし始めた。授業時間を使ってアンケート?と思いながら説明を聞いていると、どうやら二年次の1.申請コマ数と、一週間あたりの  2. 学内・自宅での勉強時間   3. バイト時間  4. その他娯楽の時間と内容の四項目に関するものであった。クラスの生徒一人ひとりに聞いていくようで、一番前に座っている自分の順番は一番だった。「どうしてこのタイミングで?」なんて思ったが、まあ普通に答えた。その後もほかの生徒が順々にアンケートに回答していった。まあ全体的に勉強時間は非常に少ない感じであった。そして最後の生徒がアンケートに回答した後、教師が口にしたことは予想通りだった。すべてを書くのは手間がかかるので要約すると

 

①「日本の大学生はフランスの大学生に比べて授業外における勉強時間が非常に少ない」

②「日本の学生の勉強時間ではフランスの大学生ならば進級できない」

③「島国だから自分たち(日本の大学生)が勉強していないことがわからない」

 

とまあざっくりこんな感じだ。

まあ言っていること自体はTwitterとかで見かける外国と日本を比較して外国のすばらしさを鼻高に説く人間と似ている。まあ向こうの詳しい実情というエビデンスを持っている分説得力はある。教授ご本人としては、恐らく授業外で勉強をせず遊び惚けている日本の大学生への軽蔑含まれているのだろうと思う。

しかし①は日本の学生たち自身の問題だろうか?そこに私は疑問を感じる。日本とフランスの学生の授業外における勉強時間のみを比較して、日本の学生の日常学習に対する姿勢にのみ問題があると結論付けるのは些か早急ではないだろうか。私は両国の学生の資質にそこまで差があるとは思わない。ではどうして授業外学習時間に差があるのか。それは教育制度と環境の差に他ならない。教授も②で言った通り日仏間では(主に文系)学部進級の難易度に差がある。日本の大学における進級は比較的簡単である、つまり単位取得のために必要とされる水準が低いor成績が付きやすいため、学生は少ない勉強時間であっても進級は可能である。また卒業要件も緩く、(文系学部では)一部例外を除き必要最低限のことをすれば卒業するために特に努力を必要としない。環境面では「主に文系学部生が就職する日本企業の大半が、学部時代に「何を」「どれだけ」勉強したかという観点を採用時に重視しない」と学生側に考えられている現状がある。企業がただの「大卒」という肩書と一般常識と多少の英語運用能力しか求めていないとみなされる現状が続く限り、日本の学生は大学における勉強に必要以上に精を出すことはないのではないか。どうだろう?

2019-0918 恋愛体質という言葉について

こんにちは。久しぶりの投稿です。

ふと「こんにちは」とキーボーを使って打った時、日本語としては「こんにちは」と「こんにちわ」のどちらが正しいのか疑問に思いました。ということでいつも通りGoogle先生に聞いてみようとブラウザを開いた時に、「こんにちは、〜ですね」が語源だということを思い出し自己解決してしまいました。

 

さて結構間が空いてしまいましたが、前回の続きです。前回「差別化へのハードルの高低」=「恋愛体質か否か」ということを言いました。もったいぶるほどのことを書くわけではないので、さらっと冒頭に書いてこの話題は終わりにしたいと思います。「特定の人を差別化し難い人」=「非恋愛体質」の原因の一端は「他者の人格・性格に関する興味・関心が無い」であると思いました。以上です。

 

さてもう一つ別の話題について。先日、長年通っている眼鏡専門店にメガネのフレームの歪みを修理してもらいに行ってきました。そもそもメガネ自体が(一応?)耐久財であるため、年に数回の修理と数年に一度の新規購入程度のお付き合いです。しかし、長く通っているため従業員の方の入れ替わりや店の内装・構造の変化についても多少は気付くところもあります。数年前に店舗の大幅改装に伴い店員さんの方の顔ぶれがガラリと変わりました。最初の方は、以前の店員さんと変わらない対応でした。ちょうど度数の進行にともない眼鏡を新調しようと思っていたので、躊躇いもなくその店舗で新しい眼鏡を購入しました。しかしそれから何回か新装された店舗に修理に行ったのですが、足を運ぶたびに以前よりも店員の方の接客対応や修理が粗雑に感じられました。そのお店自体はZoff眼鏡市場等の安価なチェーン店ではなく、百貨店内に店を出していて値段帯も安価とは言い難い眼鏡を販売しています。もちろん価格内には定期的な修理や接客対応に関する費用も込みであると、個人的には考えていました。以前であればその価格に見合ったというか定期的な修理時の接客対応や修理であったのですが、現在ではそれが感じられなくなるような接客対応・修理になってしました。このようになってしまった理由については私自身部外者であるためはかりかねるのですが、これ以上接客対応等の品質が落ちる、または現状の状態が変わらないようであるなら今後店を変えることも検討しようかなと思いました。「百貨店のうりあげが〜」とニュースで目にすることもあるのですが、もしかしたら今回のような接客等の品質低下も原因の1つかもしれないなと個人的に感じました。

2019-0829 恋愛体質という言葉について

こんにちは。昨日ブログ更新をサボっていたため、今日2つも記事を書くことになりました。(自業自得ですが)今夜は同居人の非常にうるさい鼾をBGMにして、この記事を書いていこうと思います。

 

①恋愛について

僕はあまり恋愛というものを経験したが無く、他者に好意を抱く事もあまり無いタイプの人間です。しかし他にブログのネタもなく、今日歩いていて不意に思いついたことがあるので、個人的なメモがわりに書き残しておきたいと思います。皆さんもご自身の周り又はメデイアを介してこのような発言を聞いたことはないでしょうか?

 

「私(俺・僕)恋愛体質なんだ」

 

この恋愛体質という言葉をここでは「一般的な人よりも高頻度かつスピーディーに他人に好意を向ける」と仮定してみます。仮に恋愛体質の人間がいるとするならば、逆に「一般的な人よりも低頻度かつ好意を向けるまでに時間を要する」という体質の人間もいることになります。今回は後者の原因の一端について自分が思ったことについて書きたいと思います。

 

そもそも、他人に好意を向けるということが一体どのようなことなのか。実際、人が好意を向ける対象は他人とは言っても一般的には一人に限定されます。この世にいる数多の異性から任意の異性一人に限定するということはその対象が自己の中でその他の異性と差別化がなされるわけで。「差別化のハードルの高低」=「恋愛体質か否か」ではないかと思いました。差別化のハードルが低い、言い換えると特定の他者に対して差別化可能な何かを見出すことができない人間が、「一般的な人よりも低頻度かつ好意を向けるまでに時間を要する」にあたるのではないかと。

 

すみません。眠いので今日はここまでにします。

引き続きブログネタは募集しておりますので、是非気が向いたらコメント欄にネタ案を書いてくれると助かります。

 

Bye

2019-0828 やさしさとは

こんにちは。ここ最近夏休みの学生にありがちな生活習慣の乱れがあり、ブログを更新する気力・体力が無くなってしました。その為、今日二日分の日記をあげたいと思います。

 

①ブログに書く話題がないということ

まあタイトルの通りブログのネタになるようなものがありません。結構切実です。ここ数日、友人との飲み会・YouTube・読書しかやらずに過ごしていた為、ブログに書くことがありません。ぜひこのブログを見ている皆様にブログのネタを頂けたらな、と思いまして。もし心優しい方がいらっしゃいましたらどなたでも構わないので是非コメントにネタを書いて送ってください。

 

②共感度の高いネタはSNSで拡散されやすい

Twitterを毎日目的も無く眺めていると何万人の人に拡散されたツイートが流れてきます。特に最近目立つ気がする?のは社会への不平不満を綴ったものです。僕自身ブログネタを探すためにインターネットで様々なサイトを見ていると、ある記事に「共感度の高いネタはSNSで拡散されやすい」と書かれていました。その記事のとおり、Twitterで流れてくる社会への不平不満や万人受けしやすい感動・ほっこり系の話の拡散は他のツイートよりも拡散規模が大きいです。まあそれだけその不平不満を数万人単位の少なくない人々が抱いていたり、万人ウケするがあまり日常生活では見かけない感動・ほっこり系のエピソードを潜在的に欲している人々が多いのかなという印象です。同時にそれだけ沢山の人のストレスや欲求のはけ口としてTwitter等のSNSが役に立っているのだなとも思いました。呟き手の無知や思い込みで他人や他文化・他民族等を侮辱・攻撃するデマや内容のツイートが拡散することは許されませんが、一定程度の捌け口としての使い方はアリかなと。

 

まあ今回はここら辺で。

Bye

2019-0827 チョコバナナについて

こんにちは。昨日と今朝の疲れで先ほどまでベッドに身体が縛られてしまっていて本日分のブログの更新をするまで時間がかかりましたが、漸く書くところまで来ました。一番継続が難しいと言われる?三日目を超えて少しずつ文章を書くことにも慣れてきました。今日もアイスを片手にタイピングしています。さて、まずはじめに昨日の話の続きを。(詳しくは昨日のブログを)

 

個人的に家にあったチョコバナナが美味しい理由

 

①チョコの主張が丁度いい(昨日のブログで書きました)

 

②バナナの甘みとチョコの甘みの種類が異なる

 

③トッピングしてあるホイップが両者の間に入ってその関係をとりなしてくれいる

 

 

②について。①とも繋がることですが、チョコの存在感が目立ち過ぎないことで逆に、バナナの存在感が現れるというか見えるというか。バナナの甘みは角がなくマイルドでありながら、果物特有の酸味も有りチョコの甘みとは異なる系統のモノであり相補的な関係にあるな、と食べていて思いました。

 

③について。このカップアイスには既製品にしては珍しく?ホイップクリームがトッピングされていたのですが、そのホイップクリームの役回りにも感激したので三つ目の理由としていれました。通常のホイップクリームよりもチョコとバナナの甘さよりも控えめなクリームが使われていることで、上手く両者の間に入り出しゃばり過ぎず没個性的でもなく存在出来、「チョコバナナ」としての完成品にアクセントを加えてました。

 

とりあえず、チョコバナナ味のカップアイスのおいしさに感動したので自身の為の記録も兼ねて思ったことを書き出してみました。

 

さて、昨日の振り返りと、本日のタスクについて。

8/26

バイト→◯、YouTube→◯

 

予想通りこの二つ以外のコトをやる時間はありませんでした。

 

8/27

読書、販売実績調査、株の銘柄チェック諸々、筋トレ、ランニング

 

こんなもんですかね。

今日も残すところ後七時間くらいしかありませんが頑張っていきましょう。

2019-0826

こんにちは。ただ今チョコバナナのアイスを食べながらブログを書いている、Karolus2019です。もう八月も終わりに近づき、学生さんの(僕も学生ですが笑)夏休みも終わるというのに、外にいる蝉の鳴き声は鳴り止みませんし、気温も一向に下がりません。1日の折り返しを過ぎてしまいましたが、今日も一日頑張っていきましょう。

 

昨日の振り返り

午前:ブログ書き出し→◯、

午後:バイト→◯、販売実績確認→✖️、読書→✖️、Youtube→◯

 

あいも変わらず手のつけやすい娯楽に走る癖がでてます。

 

8/26

午後:バイト、YouTube

 

こんなもんですかね。

 

 

 

ブログを書き始めて四日目ですが、すでに書くことがなくなってしましました。仕方ないので、隣に置いてある食べかけのチョコバナナのカップアイスについての話を少し。このアイスは、コンビニやスーパーに置いてある典型的なアイスではなくちょっと特別なものでして。数ヶ月前に今食べているチョコバナナ味の他に6種類くらいあまりお目にかからない味のアイスを、知人からいただきました。どのアイスも心なしか繊細な味わいがあるなと素人の味覚ではありますが思いました。特に今現在食べているチョコバナナ味のアイスはチョコとバナナと生クリームのトッピングが絶妙にマッチしていてとても美味しいです。なぜこんなにも合うのだろうかと考えたところ、以下の3つの点が理由かなと。

 

①チョコの主張が丁度いい

②バナナの甘みとチョコの甘みの種類が異なる

③トッピングしてあるホイップが上手く両者の間に入ってその関係をとりなしてくれている

 

①について。世間一般には昨今ブーム?の高濃度カカオチョコレートの他にもさまざまなチョコレートが流通しています。しかしチョコの味や風味などは様々有れども、やはりどれもチョコレートとしての独特な存在感、例えるなら消しても消しきれないオーラのある芸能人のような存在感があります。チョコの入ったパンなど、何か他のものと一緒に加工・調理されてもその存在感で場を支配してしまいます。しかしこのチョコバナナアイスのチョコは場を支配する地上波バラエティの大物司会者のような威圧感や主張が一切なくチョコバナナという一つの食べ物のために裏方に徹する存在でした。

 

時間がなくて投稿が遅くなりました。この話の続きは明日(8/27分の)ブログで!